2019年10月22日火曜日

髙原浩氏講演会

先日の日曜日に、一宮駅のiビルにて東京より髙原浩氏をお招きして講演会を行った。
僕と雨さんがトレトレを始める前にどんな施設にしていこうかという話をしたのだが、その時に就労を見据えた施設にしなくてはいけないと思い、読んだ本が髙原さんの書いた本だった。
僕と雨さんはとても感銘を受け、髙原さんに会いに東京まで行った。その頃から一宮、もしくは尾張地区で髙原さんの公演を開催するのが一つの目標だった。
そして、それが一昨日開催することができた。


児童精神科医の先生や、大学の先生などと違って、髙原さんの話はいつも現場で実際におこったエピソードや経験をもとに話をされている。だから、聞いてる方は納得感や希望が湧いてくる。それは、髙原さんのやっていることが机上や紙面上のものではないこと、形だけの支援、形だけの施設ではないこと、そして障害の専門家ではなく一人一人の専門家であるという髙原さんの姿勢がそうさせているのだと思う。
これがリアルなのだ。

講演の冒頭に髙原さんが生活介護を来年始めると聞き、驚いた。髙原さんが学生時代に障害を持った人の世話をするボランティアをしていた時に一日中靴の底をすり減らすことをしていた人を見て、障害者だからする行動なんだと思わず、本当にこのままで彼は幸せなのだろうかと考えたという髙原さんが生活介護というのが少し違和感があったからだ。
でも、なぜ生活介護かと聞いてとても納得がいった。
生活介護にいる人も就労を目指していいんじゃないかと髙原さんは言う。そもそも発達がゆっくりな特徴を持つ彼らが18歳になり高校を卒業すると自分の生き方を決めなくてはいけない。私達、健常と呼ばれるものだって30歳、40歳でやっと自分の生き方が見えてくる人も多い。いや、ほとんどがそうだと思う。髙原さんは私の好きな孔子の言葉を引用していた。
「三十(30才)にして立つ」
「四十(40才)にして惑(まよ)わず」
「五十(50才)にして天命を知る」
そんな人間が18歳で介護というのはとても違和感がある。人は何歳でも成長する。
髙原さんのする生活介護は介護が目的ではなく、就労が目的なのだ。
もちろん、全員が目指せるわけではないだろうし、そんな簡単なことではない。
しかし、30歳、40歳で就労でもいいんじゃないかと髙原さんは言う。
親としてはとても希望のある考え方だと思った。

今回、100人近くの参加者がいて聞く側の熱意に押されて、髙原さんも熱が入ってしまい脱線が多くなったとおっしゃっていた。しかし、その脱線の中に大切なヒントがあり真実があると思った。
2時間では全ては話せないかもしれないと思っていたと髙原さんが言うように、講演会ではレジュメの半分くらいしか聞けなかった。後半もとても聞きたかったので、是非またこの続きをお願いしたいと思っている。

「この子らを世の光に」
社会福祉の父と呼ばれる、糸賀一雄さんの言葉だ。
髙原さんの事例紹介で、自閉症で知的障害もあるMさんが一般就労した話を聞いた。
知的障害者が就労する意味がわからないと言っていた会社が、Mさんを雇い仕事をこなすだけではなく、Mさんのおかげで会社の雰囲気もよくなり生産性も上がったという。
まさにこの子らが世の光になったのだ。
全てがこんな上手くいくことばかりではないが、この子らを世の光にするためのトレトレであり、そのために社会に発信し続けようと思う。

2019年10月19日土曜日

かがみの孤城

本屋大賞にも選ばれた「かがみの孤城」面白かったです。
学校へ通えずにいる7人の少年少女が、鏡から不思議な孤城に通う日々を綴った作品。
最初は不登校の子どもたちのことが何かわかるかなというような気持ちで読み始めましたが、どんどん物語に引き込まれていきました。


ファンタジー作品なのですが、子どもたちの心情が細かく描かれていてとても感情移入してしまいました。
初めはほんの小さなことがきっかけで学校に行けなくなる。でも、ほんとは行きたくないわけじゃないし。居場所を求めている。
このお城であるものを見つけると、なんでも願いが叶うという設定。
最初は願いを叶えたいとみんなが思っているが、だんだんとお城という居場所をなくしたくない。このコミュニティをなくしたくないと思えるようになってくる。
人は居場所があるというのはほんとに幸せなことだと思った。
放デイとも繋がるものを感じました。子どもたちの居場所であり続けたい。

最近は「幸せ」ってなんだろうというのが自分のテーマ。
お金があることが幸せではない。普通であることが幸せではない。
この本を読んで居場所があるということはとても幸せなんじゃないかと感じました。
少し前にトレトレの子どもたちが、ドラゴンボールが集まって何か一つだけ願いが叶うとしたら何がいい?と話をしていました。みんな、あれば欲しいとか何がいいかなぁとか考える中で、一人の子が「僕は何もいらなーい。僕幸せだから。」と言いました。
素晴らしことだなぁと感じました。
何か手に入ることが幸せではない。みんなと同じようになることが幸せではない。
何もなくても、個性が強くても、そのままの自分を認めて受け止めてくれる場所が一つでも多くあることが幸せなんだ。そう感じました。

この本が映画化されるといいなぁと思いながら、映画化されると作品のイメージが壊れるのも恐れ勝手に思いを巡らせていました。

2019年10月9日水曜日

グループホームビデオ上映会

昨日、愛知県障害福祉課主催のグループホームビデオ上映会に参加してきました。
ビデオ上映会といっても、ただビデオを見るだけではなく支援コーディネーターの方がグループホームの運営についてビデオを混じえながらいろいろと説明をしてくれるというもので、感想から言うとグループホームのイメージが変わりました。


これまではグループホームのイメージと言うと、いつかはことらが入れるといいなとか、いつかは入れなきゃいけないなといった少しマイナスのイメージを勝手に持っていました。親亡き後は障害を持つこどもの親にとって永遠のテーマなのではないかと思います。自分の寿命はどうしようもないので。自分亡き後のこどもを危惧して無理心中なんて舞台や映画になるほど現実にあることで、僕も初めて知ったときは衝撃すぎて落ち込みました。
でも、今回のビデオ上映会を経てグループホームも一つの生活手段であって、ことらたちが自分らしく生きるための場であり、自立・独立のためにとても前向きな場であると思うと同時に、考え方が明るく軽くなりました。
見せていただいたスライドやビデオの中にいる彼らはグループホームに居場所があり、仲間がいて、そこには自由があり、自由故に自立もしなくてはいけなくて、でもそれが心地よい場なのだと感じました。
以前読んだ本に25歳でグループホームへと書いてあり、それはちょっと早いんじゃないのかと思いましたが、今回の上映会を経て25歳でグループホームに入れてあげたいと思いました。
逆に親が70〜80になり、こどもも40〜50になってから探したり、グループホームに慣れようと思うよりも、20代で入ってことらにどんな施設が合うのか、何が足りないのかを見るほうが現実的だし未来があります。
もちろん、グループホームも人が運営するものなので世話人との相性、同居人との相性もあります。でも、おためしや一日体験もあると聞いたのでことらに合うところを探せば良いと思いました。
それにグループホームにもいろんな種類があるので、最初は5〜6人のグループホームから始まり、次は3人、次は2人、そして一人暮らしへと目標も持てます。
グループホーム内で恋人のいる人もいるそうですよ〜
やっぱり夢は結婚だな。