先日の日曜日に、一宮駅のiビルにて東京より髙原浩氏をお招きして講演会を行った。
僕と雨さんがトレトレを始める前にどんな施設にしていこうかという話をしたのだが、その時に就労を見据えた施設にしなくてはいけないと思い、読んだ本が髙原さんの書いた本だった。
僕と雨さんはとても感銘を受け、髙原さんに会いに東京まで行った。その頃から一宮、もしくは尾張地区で髙原さんの公演を開催するのが一つの目標だった。
そして、それが一昨日開催することができた。
児童精神科医の先生や、大学の先生などと違って、髙原さんの話はいつも現場で実際におこったエピソードや経験をもとに話をされている。だから、聞いてる方は納得感や希望が湧いてくる。それは、髙原さんのやっていることが机上や紙面上のものではないこと、形だけの支援、形だけの施設ではないこと、そして障害の専門家ではなく一人一人の専門家であるという髙原さんの姿勢がそうさせているのだと思う。
これがリアルなのだ。
講演の冒頭に髙原さんが生活介護を来年始めると聞き、驚いた。髙原さんが学生時代に障害を持った人の世話をするボランティアをしていた時に一日中靴の底をすり減らすことをしていた人を見て、障害者だからする行動なんだと思わず、本当にこのままで彼は幸せなのだろうかと考えたという髙原さんが生活介護というのが少し違和感があったからだ。
でも、なぜ生活介護かと聞いてとても納得がいった。
生活介護にいる人も就労を目指していいんじゃないかと髙原さんは言う。そもそも発達がゆっくりな特徴を持つ彼らが18歳になり高校を卒業すると自分の生き方を決めなくてはいけない。私達、健常と呼ばれるものだって30歳、40歳でやっと自分の生き方が見えてくる人も多い。いや、ほとんどがそうだと思う。髙原さんは私の好きな孔子の言葉を引用していた。
「三十(30才)にして立つ」
「四十(40才)にして惑(まよ)わず」
「五十(50才)にして天命を知る」
そんな人間が18歳で介護というのはとても違和感がある。人は何歳でも成長する。
髙原さんのする生活介護は介護が目的ではなく、就労が目的なのだ。
もちろん、全員が目指せるわけではないだろうし、そんな簡単なことではない。
しかし、30歳、40歳で就労でもいいんじゃないかと髙原さんは言う。
親としてはとても希望のある考え方だと思った。
今回、100人近くの参加者がいて聞く側の熱意に押されて、髙原さんも熱が入ってしまい脱線が多くなったとおっしゃっていた。しかし、その脱線の中に大切なヒントがあり真実があると思った。
2時間では全ては話せないかもしれないと思っていたと髙原さんが言うように、講演会ではレジュメの半分くらいしか聞けなかった。後半もとても聞きたかったので、是非またこの続きをお願いしたいと思っている。
「この子らを世の光に」
社会福祉の父と呼ばれる、糸賀一雄さんの言葉だ。
髙原さんの事例紹介で、自閉症で知的障害もあるMさんが一般就労した話を聞いた。
知的障害者が就労する意味がわからないと言っていた会社が、Mさんを雇い仕事をこなすだけではなく、Mさんのおかげで会社の雰囲気もよくなり生産性も上がったという。
まさにこの子らが世の光になったのだ。
全てがこんな上手くいくことばかりではないが、この子らを世の光にするためのトレトレであり、そのために社会に発信し続けようと思う。
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