ある方から、仲間の定義は「許しあえること」だと聞いた。
このブログでも何度か書いているが、「許す」「許容」というのが共生社会のテーマだと思っている。
これが極端に少なくなっている現代。
今だけ、金だけ、自分だけ。
自分さえよければいい。
自分だけは損をしたくない。
平等平等と唱えながら、なんと自分に都合の良い平等かと思うことも多々ある。
「許しあえること」自分も、親友の定義はこれだと思っている。
周りに言うと驚かれるが、自分はとても慎重で疑り深い性格なので、本当の意味であまり心を開かない。
この人は許しあえる関係だと思った時に初めて関係性が変わる。
そんな関係性を作るのはなかなか大変だと思う。
しかし、それが大切。
自分のことばかり考えてたら、腹の立つことも多いが、少し相手の立場になれば気持ちも収まることも多い。
なかなかすぐに寂聴さんのようにはいかないが、毎朝寂聴さんの日めくりカレンダーを読みながら、そうなりたいと思う日々である。