2018年11月30日金曜日

夢

【年長・2016・8月】
この頃に一本の映画を観て、衝撃を受けいろいろと考えさせられました。
竹中直人主演の「くちづけ」です。
舞台から始まったストーリーで、コメディタッチなのですが、
その時の僕には衝撃的でした。
グループホームの話で、ネタバレするので詳しくは書きませんが、
障害者の現実と、親亡き後の親の苦悩をコメディタッチで描いたイメージです。
全国的に少ないといわれるグループホームの現状も。
映画ですし、どこまでが本当かはわかりませんが実際の事件をもとに書いた作品
だそうです。
この頃からことらの親亡き後を真剣に考えるようになりました。
ことらは働くことができるようになるのだろうか。
ことらが大人になる頃にはグループホームなどの施設の状況はどうなのだろう。
きっと結婚は難しいかもしれないが、できることなら結婚してほしいな。
僕の密かな夢がことらの結婚です。
そして、僕は商売をしていたので、ことらの働けるような就労施設を
つくってあげたいな。
そしたら、そこと繋がるようなグループホームも作れるといいな。
でも、その前にことらのまっすぐな成長が必要だな。
僕の夢が、ことらのおかげで広がっていくきっかけになる映画でした。

2018年11月29日木曜日

七夕

【年長・2016・7月】
保育園で七夕の発表会がありました。
先生に付き添ってもらい、ことらもみんなと同じように入場して、
歌わないまでも並ぶことができました。
しかし、僕を見つけた瞬間にこっちに走って来てしまい、とても
発表どころではなく、戻ることもできず終わりました。
変装して、しっかり隠れて見なければいけなかったと反省しました。。
視覚優位なことらが、不安を抱えながらがんばって舞台までは来てるのに、
そこで大好きな父を見てしまったら、そりゃ走りますよね。。
変装しても小さな遊戯室ではきっとバレるので、もう僕は来ないほうが
いいんじゃないかと妻と話しました。

この頃に、僕が参加している経営者の勉強会の中でとあるゼミに参加して、
自分の人生を見つめ直す機会をいただきました。
その中で自分の状況はこうなので、10年間は仕事よりも家族を優先して
いきたいと話しました。
その時ゼミ長が、そういう生き方もいいと思う。
でも、それで君はすっきりしてるのか?
と問われ、すっきりしていない自分がいることに気づきました。
でも、家族のことを想うと。。

2018年11月27日火曜日

話せる幸せ

2018/11
先日、相談を受けました。
相談を受けた方の友人のお子さんがダウン症で、
保育園で心無いことを言われたそうです。
その話を聞いた時になんて応えてあげればよいのかわからなかった、
ということなのです。
その方は男性です。同じ男性としてなんとなくわかりますが、男同士って
なかなか気の利いたことが言えないし、上手な言い回しもできなかったり
します。
きっと、この方も友人に何か気の利いたことを言ってあげたい、少しでも
心の辛さを和らげてあげたいと思ったのだと思います。
でも、変に繕った言葉は逆効果になるかもしれない。
だから、なんて言ってよいかわからない。
自分も一時期はあまりいろんな人に話ししない方がいいかなと思う時期も
ありました。
それは、話した相手がなんて言ってよいかわからないという雰囲気が
伝わってくるからです。
でも、聞いてくれるだけで気持ちは和らぎます。
そうなんだぁ。とか、大変だな。とか、共感してくれるだけで和らぎます。
そして、時々声をかけてくれるともっと嬉しいです。
「最近はことらどう?」と。
気にかけてくれる人がいるんだと思うだけで、気持ちが和らぎます。
辛い思いもするけど、自分は一人じゃないんだと感じます。
そう聞かれると、長々と話すかもしれません。
愚痴も言うかもしれません。
でも、それを聞いてくれるだけでとても救われます。
自分の気持を話せる相手がいるっていうことが本当に救いです。

昔、ドラえもんののび太の結婚前夜で、しずちゃんのお父さんがマリッジブルーに
なっているしずちゃんにのび太のことをこう言っていました。
「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことができる人だ。
 それがいちばん人間にとってだいじなことなんだからね。」
一緒に喜んでくれる人がいて、一緒に悲しんでくれる人がいるって、
とても幸せなことです。
子どもにとっても同じことだと思います。
僕も子どもにとって、妻にとって、友人にとって、そんな人間でありたいと
思っています。

2018年11月26日月曜日

次男誕生

【年長・2016・6月】
次男が誕生しました。
僕の中で捨てきれない希望がありました。
ことらと長女を支えるためにも、健常の男の子がほしいと。
こんなこと子どもに向ける希望として良いのかという葛藤はありますが、
どうしても捨てきれない希望でした。

少し身体の弱い次男は、産まれてから1ヶ月で体重が少し減ってしまいました。
幸い、また入院というレベルまではいかず良かったですが、これから何度か
入院を経験します。
基本ですが、子どもは健康でいてくれれば良いというのが身にしみます。

現在でも次男は2歳、まだまだなんとも言えない発達段階ですが
とりあえず発語はでてますし、3人の子どもたちが楽しそうに遊んだり
喧嘩したりしているのを見ると、それだけで良いと思えます。
3人というのは良いバランスだなぁとあらためて思います。
お出かけなど、まったく人手が足りないので大変ですが。。

2018年11月24日土曜日

記憶の蓋

【年長・2016】
先日のブログで、年長から入った普通保育園に思いの外スムーズに通えたと
書いたら、妻にそんなことはなかったと指摘されました。
こうだったよね、と言われてそうだったと思い出す。
実は、このブログを書きはじめた時、妻にも同じことがありました。
僕が書いたことに、そんなことあったっけ?とつっこまれる。
僕ははっきりと覚えているが、妻は覚えていない。
その時、妻が言ったのが「実は診断を受けた3歳あたりの記憶があいまいに
なってる。自分で辛い記憶を消しているのかもしれない。」と。

僕も、今回同じ感じがしました。
年長になって、ことらはスモックやカバンは問題なく、保育園にも行きますが、
僕らと離れるのはとてもいやがり、その姿を見る度に、選択を誤ったのか、
自分たちの願望を無理やり押しつけていないのかと悩んでいたのを思い出しました。
初めの1ヶ月くらいは給食前に迎えに行っていました。
その後も、少しずつ時間を伸ばしていき、最終的には通えるようになりました。
そこは、加配の先生やお友達のおかげだと思います。
もちろん、ことらもすごくがんばっていました。
ことらががんばって通っているのが伝わってくる分、僕も辛かったです。

これは記憶の蓋だと思います。
よく、聴覚過敏の子は全ての音を拾ってしまうと言われます。
私達は自然と、必要な音と不必要な音を聞き分け、不必要な音をシャットアウトして
います。自然界で滝の音がヒーリングになりますが、聴覚過敏の子にはうるさい
だけかもしれません。
記憶も自分たちに不必要な記憶、都合の悪い記憶は消してしまうのではないで
しょうか。その方が生活しやすいから。
発達特性のある子どもたちは嫌な記憶も鮮明に覚えているのかもしれません。

2018年11月23日金曜日

ことらの入院

【2016・02 年中】
少し時をさかのぼって年長になる前の2月、ことらが体調を崩して
最初は風邪だと思っていたのですが、なかなか治らないので総合病院に
連れて行ったら、肺炎とマイコプラズマを併発しているといわれ、即日
入院となりました。
結果2週間位の入院となったのですが、こどもの入院は大変ですね。。
病状やことらの特性もあり、個室で常に両親のどちらかが部屋に一緒に
いないといけない状態です。
身体が弱っているので、最初に点滴をしたのですが、針をさすのをとても
嫌がりますし、刺してもすぐに抜いてしまうのでギプスでもしているかのような
大げさな形になりました。
看護師さん3〜4人でつけてくれました。。感謝です。

最初は薬が身体に合わなかったらしく、身体に蕁麻疹みたいのが沢山でて
顔もパンパンになってしまい、ほんとに辛そうでした。
1週間くらいして元気になってくると、今度は脱走しようとするし、
おもちゃを持ち込んだり、携帯でyoutubeなどやってなんとかごまかしましたが、
その月の携帯のパケット代が恐ろしいことになりました。。
今は良い思い出です。

2018年11月22日木曜日

第3子

【年長・2016】
2年通った療育園から、普通の保育園に変わり受け入れられずに
通うのを拒否したらどうしようかと心配していましたが、意外と
すんなりと通えました。
スモックやカバンもすんなり。
ことらが登園すると加配の先生や、お友達が駆けつけてきてくれて
話しかけてくれたり、手を引っ張って行ってくれたりと、良い先生、
良いお友達に恵まれてよかったと思いました。
この頃からことらが少し、同世代の人に興味を持ち始めました。
良いきっかけだったと思います。

家庭では、第3子を授かり6月に出産予定。
次は男の子だとわかり、不安と期待が止まりません。
次の子もASDだったらどうしようか。
自分たちの負担もあるが、長女の負担が多くなってしまう。
妻も妊娠の影響もあり、気持ちが不安定になっていきます。
幸い、僕が自営業だったので時間は調整しやすく、家庭のフォロー
ができました。
でも、3人目が産まれたら、家事や育児がもっと大変になることは
目に見えてます。
ことらのこともあるし、あまり妻に負担をかけすぎて妻が病気に
なってはいけない。
僕は働き盛りの40代になったばかりでしたが、仕事は生活できる
そこそこにして、家族を最優先にしようと決めました。
仕事は10年後から頑張れば良いと。