2018年11月24日土曜日

記憶の蓋

【年長・2016】
先日のブログで、年長から入った普通保育園に思いの外スムーズに通えたと
書いたら、妻にそんなことはなかったと指摘されました。
こうだったよね、と言われてそうだったと思い出す。
実は、このブログを書きはじめた時、妻にも同じことがありました。
僕が書いたことに、そんなことあったっけ?とつっこまれる。
僕ははっきりと覚えているが、妻は覚えていない。
その時、妻が言ったのが「実は診断を受けた3歳あたりの記憶があいまいに
なってる。自分で辛い記憶を消しているのかもしれない。」と。

僕も、今回同じ感じがしました。
年長になって、ことらはスモックやカバンは問題なく、保育園にも行きますが、
僕らと離れるのはとてもいやがり、その姿を見る度に、選択を誤ったのか、
自分たちの願望を無理やり押しつけていないのかと悩んでいたのを思い出しました。
初めの1ヶ月くらいは給食前に迎えに行っていました。
その後も、少しずつ時間を伸ばしていき、最終的には通えるようになりました。
そこは、加配の先生やお友達のおかげだと思います。
もちろん、ことらもすごくがんばっていました。
ことらががんばって通っているのが伝わってくる分、僕も辛かったです。

これは記憶の蓋だと思います。
よく、聴覚過敏の子は全ての音を拾ってしまうと言われます。
私達は自然と、必要な音と不必要な音を聞き分け、不必要な音をシャットアウトして
います。自然界で滝の音がヒーリングになりますが、聴覚過敏の子にはうるさい
だけかもしれません。
記憶も自分たちに不必要な記憶、都合の悪い記憶は消してしまうのではないで
しょうか。その方が生活しやすいから。
発達特性のある子どもたちは嫌な記憶も鮮明に覚えているのかもしれません。

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