2019年7月22日月曜日

「わたしが障害者じゃなくなる日」



図書館でかわいらしく目を引くカバーとインパクトあるタイトルに惹かれ借りた本。
難病をかかえ、車椅子で人工呼吸器とともに生きる著者。
いわゆる重度障害者と呼ばれる重い障害があるのですが、じつはわたしに障害があるのはあなたのせいなのですとそう言ったらおどろきますか?
から始まります。著者が病気であることと「障害がある」ことは別のこと。生きづらさを作り出してるのはこの世の中、社会なのです。
例えば、車椅子で建物に入る時、段差があると車椅子のままでは進めません。でも、スロープがあれば問題なく進めます。建物の中ではエレベーターがなければ上にいけません。
今まではこういうことは「あなたは車椅子だから無理です」「あなたは障害者だからこの建物には入れません」と言われてきました。障害者ががまんしたり、悲しい思いをするのが当たり前だったのです。これは古い考え方で、車椅子に乗っているあなたのせいですという考え方。新しい考え方は階段しかない建物のせいですという考え方。障害はわたしたちの暮らす社会の仕組みが原因あるという「社会モデル」という考え方です。
社会が変われば障害はなくなっていく。こういう考え方が社会モデルです。
今、世界中で社会モデルの考え方が当たり前になってきているのに、日本は本当に遅れています。
無関心な気持ちや、逆にまた障害者が権利ばかり主張しているという悲しい意見がまさに障害をなくす障害になっているのです。

著者は小学校から大学までずっと健常者の中で暮らしてきました。
高校時代から一人で旅をしたり、一人暮らしをしたり、卒業後は日韓ワールドカップの際に韓国を韓国の車椅子の方と健常の方と旅をして、車椅子でも暮らしやすい環境を整える活動をしたりととても活発に動いています。
そこには、障害のある人が地域の中であたりまえに生活する。それをあきらめないでやっていくだけでも、社会を変える大きな力になるんだとおっしゃっています。
障害は先天的なことばかりではありません。突然難病に襲われたり、事故や怪我から車椅子生活になることも多々あります。海外では銃で打たれてということも多いです。
無関心や他人事ではいけないんです。ただ、当事者や当事者の家族にならないとわからに事が多いのも事実だと思います。
障害者は長い間差別をされてきました。
公共の乗り物の乗車拒否。レストランの入店拒否。
大多数の人の迷惑になるという理由で車椅子の人は遠慮や我慢をしなければなりません。
これは、車椅子の方に限らず発達障害を抱える子どもたちの親も同じだと私は思います。
入店拒否や乗車拒否こそされませんが、逆に見た目に違いがわからない発達障害はあからさまに周りの人から嫌な顔をされたり、心無い言葉を投げつけられ、結果遠慮や我慢をしなければいけません。
これは当たり前で差別だと思われていませんでした。法律もありませんでした。
日本で障害者の人権がみとめられていたのは最近のことです。
これらの権利は長年かけてようやく障害者がつかんだものです。わたしたちはこうした権利があると言い続け、努力して守り続けていかなければなりません。なぜなら、だまっていると大多数の意見に負けてしまいそうになる。優先順位が低いと思われてしまうから。
障害のある人は生まれたときから差別を受けています。
ふつう赤ちゃんが生まれたら「おめでとう!」と言われますが、障害があるとわかった瞬間「おめでとう」とは言われません。周囲の人は困って、親はこれからこの子とどうやって生きていこうとと嘆きます。
でも、障害のある自分を好きになり「障害者だからこそできることがあるよ」と自信を持って生きることがだいじだと著者は言います。

人の価値ってなんでしょう?
神奈川県の「津久井やまゆり園」という施設で19人の障害者が殺されてしまった事件がありました。容疑者は「障害者はいろんな人に迷惑をかけるから、生きている価値がないからいないほうがいい」と言って殺してしまいました。
一人じゃ何もできない人、生産性のない人は死んでしまってもよいのでしょうか?
著者は最後にこう言っています。
世の中に価値のある人間と価値のない人間がいるとは思いません。
なぜなら価値というものは人の心が作り出すものだから。
たとえばわたしたちはきれいな景色を見た時「見て見て!」と誰かに伝えたくなります。
富士山を見ると、「キレイだね〜」「日本に生まれて良かった」といいます。
でも、よく考えれば富士山はただの山です。この気持は人が勝手に作り出したものなんです。山はがんばってなんかいません。ただそこにあるだけで人が勝手に感動しているんです。
ただの地面の盛り上がりにこれほどの感動を作り出せるのは人間だけに与えられた力です。それができるのだから、ただ呼吸をしてただ生きているだけの重度障害者に対しても感動できないはずがないと。たとえ感動までしなくても、その人の存在に価値を作り出せるはずだと。
「この人が、ここにいてくれてよかった。」
「この人が安心して暮らせる社会は、自分たちにとっても安心だね」と。
歩けないとだめとか、コミュニケーションがとれた方がいいとか、こうあるべきだという基準を人間は勝手につくっています。それができない人は劣っていると決めつけようとします。
でも、ただの山に対してこれだけ感動できる人間が、どうして命のある人に対して感動できないのかな、価値をつくれないのかなと。
ただそこにいるだけで「人の価値ってなんだろう」と考えさせてくれる存在。著者はただ障害者であること、それだけでじゅうぶん価値があるのではないかと言っています。

わたしにもことらが与えてくれた価値観、感動は計り知れません。
あらためて人の価値、生きる価値を考えさせてくれる良い一冊でした。

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