2019年3月7日木曜日

ノーマライゼーション

【2年生・2019・3月】

今週、意思決定支援について椙山女学園大学の手嶋先生の講演を聞きました。
1970年後半にノーマライゼーションという考え方が日本に入ってきたが、欧米と日本との
理解の違い、社会の受け入れる覚悟の違いを改めて教えていただき愕然としました。
しかし、これが現実です。今は2019年かれこれ40年経っても基本的な社会の覚悟は
変わっていないと実感、体感しています。
先生は仰ってました。
我が国の歴史で弱者とかマイノリティと被害者と言った座に似て申し訳なさそうにしている
ぶんにはなんか優しい目を向ける。しかし、「おかしいものをおかしい」と言い始めた途端
にプロ障害者みたいに言われる。
SNSが発達した時代、そういったことが平然と簡単に投げつけられます。

僕はこう感じました。社会は不安なんだと。
不安だから技術・テクノロジー・システムにしがみつく。
不安だから自分の領域を確保しようとして、足を踏み入れようとするものを排除しようとする。
不安だから損得でばかり物事を判断して暮らしている。

信頼関係で成り立っていた社会が信頼関係がなくなり、制度と監視の社会になってきている。
やまゆりの事件も現代社会が生み出した歪なのかもしれない。

講義の中で何本か動画をご紹介いただきました。
その中にアメリカ版モニタリングのようなTV番組がありました。

アメリカのレストランに一組の家族が食事にきました。
その中にオーティズムの男の子がいます。
男の子は同じ単語を繰り返したり、机を叩いたり、食事中にレストランの中を徘徊します。
その様子を見ていた中年の男性が「静かにさせろ!」「ちゃんとしつけしろよ!」
「静かに食事をしたいんだから出ていけよ」と心無い言葉を投げつけます。
これが日本だったら、周りのお客はどんな態度を取るでしょうか。

この家族と中年男性は全て俳優さんです。周りの反応をモニタリングしているのです。
ある女性のお客さんは家族のおかあさんに立ち寄り、「大丈夫だからね」と優しい言葉を
かけます。
ある男性は、その中年男性に「お前こそだまれ!」と言います。
ある女性は「あなたこそここにふさわしくない、でていって」と言います。
周り全てが敵になり、中年男性は悪態をついてレストランをでていきます。
その姿を見て、レストランのお客さんは拍手喝采です。

この映像を見て、目頭が熱くなりました。
これが社会の受け入れる覚悟なのです。
日本もこのような社会になる日がくるのだろうか。
そんな日がくるように発信し続けようと思いました。

2 件のコメント:

  1. 僕が教員になって子どもたちの前に立つとき、心に決めたことがあります。それは「うそをつくのはやめよう」ということです。心にもないようなことを子どもたちに言うのはやめよう。自分が本を読まないのに「本を読むといいよ」というのはやめよう。「本を読むといいよ」と子どもたちに言うのなら自分が無類の読書家になろう。

    中学校で中学3年生の担任だったとき「自分が中学校を卒業してどこに行くか。この道は大丈夫か、この道は大丈夫かと不安で勉強する人がいるだろう。また、自分で考えて自分で決めて、それを希望として勉強しようという人がいるだろう。僕は君たちに、不安より希望を原動力にしてほしいんだ」と話しました。

    豊さんが言っているように、先の見えない不安な時代です。そういうとき、どういう理念で生きていこうとするのか。人は理念なしには1歩たりとも動けない存在です。不安を原動力にするのか、希望を原動力にするか。ぼくは希望を原動力にして、未来をかみさまにゆだねながら、「あのとき・あそこで」という悔恨でではなく「今・ここ」で「ぼちぼち全力」という生き方をする覚悟です。

    言っていることとやっていることを一致させる。かみさまではないからぜんぶできるとはとても言えないけれど、言行一致を一つの理念としています。
                                 雨田 陽三

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    1. 以前雨さんに、小さなうその話を聞きました。よく、忙しい時に子供に後でねと言って、いつまで経ってもその後でがこない。これでは、子供は大人を信用しなくなる。とても意識しています。
      以前から過去と他人は変えられないと思ってきましたが、過去の解釈は変えられると感じています。「あのとき・あそこで」という悔恨ではなく、「あのとき・あそこのおかげで」という感謝に変わる。
      捉え方だけですが、ずいぶん人生が豊かになるなと思っています。
      いつもありがとうございます!

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