雨田さんが児発管を受けてくださることとなり、嬉しくなり家に帰ってから
妻に沢山話しているうちに、ネットに写真はないかと探し始めました。
その時に、雨田さんが校長先生をされていた時の卒業式の式辞が見つかりました。
その内容に、私達はとても感銘をうけました。
今でも心に残っています。
無断で紹介します。
他に類を見ないと思いますが、シンガーソングライターでもある雨田さんは
卒業式の式辞でギターを片手に歌を卒業生に贈ったのです。
「めぐりあいウォーキング」
詩 雨田陽三
曲 雨田陽三
君と僕がめぐり合う 理屈はいらない
流れる雲とわらぶき屋根がそこにあるだけ
知らない同士歩くのに なぜか気になる隣の人よ
あなたの声を聞かせてほしい あなたに出会いたい
緑の木々よ お前のそんな自然な感じが好きだよ
もう無理してくたびれるのだけはやめにしよう
ただ歩きたいから歩くのさ 黙りたいとき黙るように
つくり笑いはもう終わりさ 自由の道を行く
君もこの道歩いてごらん 自分の歩幅を大切にして
座り込んでも構わない それは自分で決めること
テレビドラマなどを見ると、そこに主役と脇役がいます。
私は十代のとき、自分を脇役と考えていました。
学校で勉強や運動に活躍する人と自分を比較して、活躍する人が主役であり、平凡で不器用な自分を脇役であると感じていました。でもあるとき、私という人間のドラマの主役はだれなんだろうと、自分に問いかけてみて、気づきました。
私のドラマの主役は私にしかできないのです。
なぜなら、私のドラマであり、物語なのですから。
どんなに自分が平凡で不器用であっても、自分のドラマの主人公を務めよう。
「どうせやってもできない」とやる前にあきらめるようなことだけはやめにして、まずやってみる人になろう。まずやってみて、その上でやれるかどうか考えようと決めて、いろんなことに取り組むようになりました。そうしていると、やる前にはできないと思っていたことが、少しずつできるようになったり、取り組んだことが前に進むようになったりしてきました。
自分と他の人の歩幅は違うのだからと、自分と人を比較して落ち込むこともしなくてすむようになってきました。
人生は長いものです。ときに歩くのをやめて座りこむことがあってもいいのではないかと思います。それを決めるのは、ドラマの主役である自分です。
あなたたちひとりひとりがあなたのドラマの主人公として、胸を張って主役を生きてほしいと心から願っています。
幸せは悲しみの積み重ねであり、悲しみがいつか希望に変わる日はきっときます。
あなたたちがこれから出会うであろうつらいこと苦しいことに、主役として、堂々と立ち向かっていくことが、時代を生き抜く力になるであろうと私は信じています。
雨田 陽三
人の痛み、苦しみ、辛さがよくわかる方だと思いました。
相手の立場に立って考えれる方だと思いました。 こんな先生に出会えたら幸せだなぁと思いました。
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